陽の当たる道を目指す

過去の体験談とか趣味の話をつらつら書いてきます。本の話がやや多めかも。暇つぶしくらいにはなれるように頑張ります



友達とは?自分を受け入れるとは?思ってたより重い『聲の形』(漫画版)

“退屈すること”を何よりも嫌う小学6年生の石田将也。

ガキ大将だった小学生の彼は、転校生の少女、西宮硝子へ無邪気な好奇心を持つ。

彼女が来たことを期に、少年は退屈から解放された日々を手に入れた。

しかし、硝子とのある出来事がきっかけで将也は周囲から孤立してしまう。

 

やがて五年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長したふたり。

”ある出来事”以来、固く心を閉ざしていた将也は硝子の元を訪れる。

これはひとりの少年が、少女を、周りの人たちを、そして自分を受け入れようとする物語――。

 映画・聲の形のホームページでは、このようにあらすじが紹介されています。

http://koenokatachi-movie.com/introduction/

 

しかし、読んでみると、これがなかなか重いお話。

耳の聞こえない硝子が転校してきたことで、仲の良かったクラスに異変が起きてしまいます。授業の進みが悪くなったり、手話を覚えようとした女の子が「点数稼ぎ」と陰口をたたかれたり。

そして将也は硝子をからかって遊びのですが、徐々にエスカレートしていき、補聴器を壊したりします。

それが先生や硝子の親にばれると、クラスメイトは全てを将也になすりつけ、以後完全に将也は孤立、というかイジメに遭います。

やがて高校生になった将也は、自殺することを考え、その前に硝子と会うことを決意する。

 

というのが単行本全7巻の、1巻のあらすじです。

重いし、濃い。

 

 

 

 

耳の聞こえない、従って上手く喋れない硝子も重要な人物ですが、読んでいけばそれはあくまでもキッカケで、主題は主人公がいかに他人を受け入れ、そして自分を受け入れていくかの成長の物語であることはすぐにわかります。

硝子と会って、硝子の笑顔を見た時、

「なに笑ってんだよ 俺‥! お前は笑っちゃだめだろ!!」

「俺は 俺が 嫌いだ」

 

と思っていた将也が、最終巻で、

中学の時 自分の未来はつまらないものだと想像してた

でも今ではその想像上の未来も 心底輝いて見える

あきあきするほどまっとうで希望に満ちている

 と思えるようになるまでの成長の話です。

 

いいシーン、セリフがいっぱいありますが、特に友だちの定義とは何か?と将也が高校で初めてできた友人である永束くんに尋ねるシーンが好きです。

永束くんはこう答えます。

それは定義づけないといけないものなのかい?

と。

さらに「友情ってのは 言葉や理屈‥ それらを越えたところにあると思うんだ」

とも言います。若干いわゆる中二っぽい発言ですが、いい言葉ですね。

 

友だちでいうと、もう1つ好きなシーンがありまして、この漫画には植野さんと、佐原さんという女の子が登場するのですが、小学校の時、硝子さんがキッカケで、2人の仲はこじれ、佐原さんは不登校になっていまうんですね。

で、偶然高校が同じになって、一応仲直りするんですが、植野さんはかなり直情的で、思ったことをすぐ口に出す性格で、硝子さんに対して怒っているところを止めようとした佐原さんにもひどい言葉を投げかけるんですね。

そのあと、「あんたとはもう友達じゃない」と言う植野さんに対して、

「友達だよ」と答えるシーンがあります。

 

文章にするとなんてことないんですが、暴言を吐かれ、さらにあんたとは友達じゃないと言われた側が、友達だよ、言える。

佐原さんは不登校になったあと、自分を高め続けること、変わることを目標に頑張ってきた場面が描かれていて、だからこそ植野さんを受け入れることができて、他の人物より一足先に成長できたんだなっていうのが垣間見えるシーンなんですね。

 

植野さんは、硝子のせいでクラスがバラバラになったと思っており、また、硝子のいつも愛想笑いで誤魔化す態度を嫌って、かなりキツい言葉を浴びせる場面が何度かあります。

wikiによると、全日本ろうあ連盟とも協議を重ねたとありますが、ここらへんのシーンがある故になのかもと思いました。

ただ、一歩通行になりがちな障がい者の問題について、健常者側からの率直な「聲」も描いたのがこの作品の素晴らしいところであり、見どころの1つだとは思います。

 

映画版はすごく面白いんですが、やや駆け足で、説明不足な点が少しあったかなーと思います。

個人的には漫画版のほうをオススメします!